西アフリカについて

アフリカ西部諸国は、他の地域に比べ独立が早かったことで知られ、またいろいろな面でその多様性が指摘されています。

元来、西アフリカは8世紀頃マリ帝国やソンガイ帝国などの強大な帝国で栄えた地。そしてサハラ交易での金輸出で莫大な富を築きあげた土地柄でもあり、続く大航海時代では、ギニア湾沿岸部での、いわゆる「奴隷貿易」が開始された土地でもあります。

奴隷制と言えば、ベナンに過去存在したダホメ王国を抜きにしては語れません。

西洋の奴隷商人から武器や綿布を受け取り、代わりに当時同国と対立していた部族民を奴隷として売り渡していたことは周知の事実と言えます。

これが奴隷貿易と呼ばれる所以ですが、このような貿易の特異性が今でも感じ取れる場所があります。

例えば、セネガルのゴレ島や、エルミナ城、ケープ・コースト城などの世界遺産にもなっているガーナの城塞群などで、これらを「負の世界遺産」と呼ばせるにたる人類の暗い過去を示すものとして知られるところです。

19世紀には西欧列強の植民地支配がはじまり、そして1957年にアフリカ諸国内でいち早く独立を果たしたのもガーナという、何か因縁を感じさせる土地でもあると言えるかもしれません。

       

       

早々独立実現の西アフリカにジレンマ

アフリカ諸国の中でも、いち早く植民地支配から独立を宣言した国が多い西アフリカ。ところが、現在では干ばつ被害や内戦などでなかなか経済成長の伸びが見込めないというジレンマに陥っています。

まずは情勢の安定化と資源開発の推進が望まれるところです。

西アフリカといえば、中世の頃は「奴隷貿易」で栄え多くの王国ができたと言われていますが、その後西欧の列強国により国境が分断され、多くの国が生まれたとされています。

海外のニュースをチェックしている方や海外へ取材に赴くことがある方ならご存知かとは思いますが、農業が主産業と言われるだけあって、気候の変動で経済が左右されるという脆弱性が各国の経済成長安定を阻害しています。経済共同体形成という協力体制をとるも、根底にある脆弱性に邪魔されて思うような将来像が描けない国が多いことで、その連携にも十分な成果が出ていないというのが実情のようです。

それでは、もう少し西アフリカという地域について掘り下げてみてみましょう。

まずその範囲は、アフリカ北西部の大西洋とギニア湾に面した一帯を指し、北部はサハラ砂漠の一部となり、中部は草原地帯サバンナと言われる雨季と乾季が訪れるため、環境条件としては各国まちまちと言ったところ。

この多様性は宗教にも言え、北部マリなどはイスラム教徒でほとんどが占められ、一方で南部ガーナではキリスト教徒が多数派を占めているとのこと。

更にナイジェリアでは、イスラム教徒とキリスト教徒がほぼ半々という国もあるというような多様性は、この西アフリカを語る上で忘れてはいけない大事なことと言えるかもしれません。

       

       

西アフリカ諸国経済共同体にほころび

植民地支配からの独立が他のアフリカ諸国に比べ早かったと言われる西アフリカ。

ところがその誕生以前から潜在的に残っていた多様性が、経済面へも波及しているのではと思える点を指摘していきたいと思います。一般的によく知られたガーナのカカオ、コートジボワールではコーヒー、セネガルはピーナッツと主要産業が農作物、と言われる国が多く存在しています。

しかもその手法は原始的であるがゆえに、毎年の気候変動に左右されやすいとなると、経済成長も右肩上がりとはとても言えない国が少なくありません。

さらにナイジェリアのように、豊富な石油資源を持つがゆえに、長期にわたる政情不安で資源開発もままならず、当然インフラ整備もできていない国が多い事でも知られています。

ダイヤモンドの一大産出地で知られるシエラレオネでも同様に内戦やクーデターが絶え間なく起こるとなれば、国内産業などおこるはずもありません。

いきおい密輸出が横行する現状と言われています。

そんな中でも、各国(モーリタニアやカーボヴェルデは除く)がまとまって作る経済共同体「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」として域内の治安維持、紛争防止に努力しているのが唯一の救いと言えるかもしれません。

ところが、2008年でギニア、2009年ではニジェール、2012年にはマリと立て続けに起こったクーデターで国内は混乱を極め、それを理由にECOWAS の加盟資格停止措置を受けるに至っては折角の協力体制にほころびを生じさせる結果となってしまいました。

この辺の解決なくして西アフリカ地域全体の発展にはたどり着けない大きな課題と言えるのではないでしょうか。