エチオピアの歴史

日本お得意の“改善”が持ち込まれた影響でカイゼン局という部署までできてしまった東アフリカの一国「エチオピア(エチオピア連邦民主共和国)」。同国は地中海とインド洋を結ぶ要衝「紅海」を間近に面しながら、エリトリアやジブチそしてソマリアの3国に阻まれた内陸国。日本の約3倍という面積をもち、そのほとんどがエチオピア高原という標高2300mにあるため低酸素環境でアスリートの恰好の練習地としても知られています。また他のアフリカ諸国と異なりアクスム王国を経て、強大なエチオピア帝国の存在が植民地化を阻んだともいわれています。一時イタリアの支配下におかれた時期を経て、1941年イギリス支援のもとエチオピア・エリトリア連邦を結成するも、1974年発生したクーデターで帝政が廃止となり、一党独裁制社会主義国家へと変貌を遂げていきました1991年にはエリトリア地方の独立を掲げた武装勢力「ティグレ人民解放戦線」によって独裁政権は崩れ去り、新憲法制定のもと現エチオピアが形成されたという歴史をもちます。